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淀江町にある日吉神社では、毎年5月3日に、江戸時代の寛永14年(1637年)以前から380年以上続いている神幸神事「よいとまかせ」が行われます。山車・神輿を中心に、それぞれの衣装をまとった約200人もの氏子が行列となって町内を練り歩き、人々の健康や安全、作物の豊作等の幸福を祈願します。今津田中家のオーナー 田中洋子が住む「今津集落(現97戸」は、箒引(ほうきびき)の役割を担っており、毎年2名が行例に参加します。これは家の並びでの持ち回りで、今年は田中家に約50年ぶりに番が回ってきて、名古屋に住む洋子の弟 衆が箒引をさせていただきました。
「よいとまかせ」は、「神輿渡御」(みこしとぎょ=神輿に移られた神様がお出かけされるという意味)の行事で、かつては大山と日吉神社、または日御碕神社(現在の坪亀山にある神社)と日吉神社との間で行なわれたともいわれています。
江戸時代には中断・復興が繰り返され、また明治24年の淀江大火で神事の道具が焼失しましたが、氏子によって再興されるなどの変遷を経て、現在の行列は大正15年に再編成された順番で並んでいます。この行列は、社寺奉行を中心としたグループ、神輿を中心とした2つのグループの3つに分けることができ、中心部分が神輿であるという点で大名行列と違います。県下唯一の「神輿渡御」である「よいとまかせ」は、米子市の無形民俗文化財として指定されています。
社寺奉行御供回りの奉行は陣笠、陣羽織姿で、張り子の馬を腰につけ、馬子を従え、掛け声とともに奴が一舞ずつ舞っている間、前後に動き、奴の指揮を執ります。「えんよーいやな、えんよいとまかせ、さささ、さあよいとまかせ」の掛け声の意味は「よい世の中だな、よい世になりますように、さあもっとよい世になりますように」といわれています。
10時から例大祭を行い、13時30分御神体を移す儀式のあと、14時に日吉神社を出発し、行列は14時から17時30分頃まで続きます。旧道から9号線(淀江交差点)に出た後、第一区公民館前の道から中道を通り、川を渡り、旧道に戻り、地区ごとにそれぞれの帰路につきます。17時半ごろに神輿と道神楽が日吉神社に戻り、御神体を戻して終了となります。
日吉神社神幸行列順序
担当地区 | ||||
1 | 杖払 | (つゆばらい) | 保田・福井 | |
2 | 箒引 | (ほうきびき) | 今津 | |
3 | 大鳥毛 | (おおとりげ) | (元町) | 一区 |
4 | 社寺奉行御供廻り | (しゃじぶぎょうおともまわり) | (長町) | 二区 |
5 | 鉄砲組 | (てっぽうぐみ) | (北浜町) | 二区 |
6 | 子ども神輿 | (こどもみこし) | 今津 | |
7 | 社名旗 | (しゃめいき) | (灘中町) | 五区ノ二 |
8 | 猿田彦命 | (さるたひこのみこと) | (本町四丁目) | 三区ノ一 |
9 | 大幣 | (おおべい) | (前田町) | 四区ノ二 |
10 | 真榊 | (まさかき) | (本町三丁目) | 四区ノ一 |
11 | 日月像幡 | (にちげつしょうはん) | (本町二丁目) | 五区ノ一 |
12 | 道神楽 | (みちかぐら) | (駄倉町) | 十区ノ一 |
13 | 神輿 | (みこし) | (五軒屋町) | 十一区 |
14 | 神職 | (しんしょく) | ||
15 | 宇豆女命 | (うずめのみこと) | (東横町) | 八区 |
16 | 四神旗 | (ししんき) | (本町一丁目) | 六区ノ一 |
17 | 五色旗 | (ごしきき) | (西横町) | 八区 |
18 | 真榊 | (まさかき) | (西小路町) | 三区ノ二 |
19 | 五色幟 | (ごしきのぼり) | (川向町) | 九区 |
20 | 随神 | (ずいじん) | (御屋敷町) | 六区ノ二 |
21 |
金幣 奉幣 |
(きんぺい) (ほうへい) |
(河原町) (風呂屋小路町) |
七区 七区 |
22 | 道神楽 | (みちかぐら) | (堀町) | 八区 |
23 | 神輿 | (みこし) | (浜町) | 十一区 |
24 | 神職 | (しんしょく) |
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今回の神幸祭行列の様子
【写真解説』
・参道にJRの踏切がある日吉神社
・神前で待機する社寺奉行御供廻り
・「箒引」で道を清める洋子の弟 衆
・奴(やっこ)役に初めて女性も参加
・張子の馬を付け指揮を執る奉行
・沿道の人々の頭を撫でる奴(やっこ)
・無病息災を願い氏子の頭を噛む獅子
・休憩所の中西パンで一休み
・猿田彦命(さるたひこのみこと)
・日月像幡(にちげつしょうはん)
・演奏しながら進む「道神楽」
・御神体が一時的に鎮まる神輿
・17時17分頃中道から旧道へ戻る
今回は箒引のお役目があったため、13時に日吉神社の社務所に集合し、弟の衆は「箒引」の衣装に着替え、14時の出発まで待機しました。義妹と姪、そして娘の萌々子と私(洋子)の4人は、参道にある踏切(JR山陰本線)を渡り、階段を上って、ご神前に進んで拝礼し、行列の開始を待ちました。平井鳥取県知事・伊木米子市長・報道関係者など多くの方も来られていました。
14時に神前で「よいとまかせ」の掛け声が高らかに響き、行列がスタートしました。今年は人口減少による担い手不足のため、これまで男性だけだった奴(やっこ)役に初めて女性の参加があったそうです。
今回、私たち4人は、14時~17時半まで、行列にずっと付いて回り、「よいとまかせ」の概要を体感することができました。その間、行列に参加したり、見学したりしている小中時代の同級生や知人とも多く出逢い、道中、いろんな話をしながら、楽しい時間を過ごすことが出来ました。「よいとまかせ」の知見を深め、来年以降は、ツーリストの皆様をお迎えして、一緒に体感できればと思っています。